北村季晴

季晴は江戸っ子です。季吟から代々江戸に住み、七代目である季林も将軍家茂の侍講を務めていて、家屋敷は銀座っ子が通った泰明小学校のあたりにありました。小学校が出来るというので赤坂のほうへ転居しました。季晴はその息子です。明治学院から、東京音楽学校に転じ、卒業するとまずは師範学校の教師になりました。
季晴は明治学院で島崎藤村と同級で仲良くなりました。
季晴が長野師範時代に、いまは長野県歌となっている「信濃の歌」の作曲をした。長七が小諸を去った年にやはり長野師範を辞め、作曲活動に専念しようと上京した。東京音楽学校に招かれ、日本の古典音楽を五線譜に採譜する仕事をしていた。
校歌は皆さんが感じておられるように荘重な曲調です。それは季晴が古典音楽に取り組んでいたことと無関係とは思えません。