第2回記録
  「お花見 向島その2」
 
    2005年4月2日晴れ
前回の好評に応え、参加できなかった方達のために再度挙行された。今回は、お花見と向島のまち歩き。

コース:東武曳舟駅−京島−キラキラ橘商店街−東向島−鳩の街−向島花街見番通り−隅田川テラス(ミニワイン(MW)パーティ)  →鯛めし松の実

今回は16名が参加。
     
  (1) 東武曳船に集合した仲間達が、京成曳船に移動して全員集合。
今回も案内人は川口さん。
     
  (2) 京島の戦災をのがれた路地裏からまち歩きを開始。
  京島の戦災をのがれた路地裏 


流しの豆腐屋さん            

  (3) 次は、昔ながらの商店街。狭い路地の両側に店が連なっている。
懐かしいコッペパンを買って食べる人、お花見用の焼き鳥を買う人、記念写真をとる人と思い思いでゆっくりと見物。ここは「キラキラ橘商店街」。
 
   キラキラ橘商店街 

   (4) 向島百花園でトイレ休憩。時間不足で入園はなし。

(4)向島百花園

(5)幸田露伴の住居跡公園

   (5) 地蔵坂通りや幸田露伴の住居跡公園をぞろぞろと歩いていく。

   (6) 昔の赤線地帯は派手派手な色のタイルが使われていて、それが一部残っている。「鳩の街」といわれている。
   鳩の街

昭和20年3月の東京空襲で玉の井等の娼婦街が焼けてしまった。その近くで焼け残っていた寺島一丁目(現東向島)に移転して誕生したのが鳩の街です。
特にこの街はカラフルな色タイルで飾った家が多くあり、特徴を出しています。

前田豊の「玉の井という街があった」では
「警視庁の通達に従って、家屋はどこの娼家も壁や柱が模造タイルに貼り替えられ、入口にはカフェー様式にテーブル、椅子、酒瓶等を置き、軒下には赤や紫のネオンが輝いて、わずか二.三カ月前とは打って変わった様相を示した。」
とあり、タイルが警視庁指定だったことがわかります。
 
商店街の通り自体に店を出すのは許可されなかったようです。その代わりに、商店街の北側というか、東側に一筋ずれた通りにカフェー街が誕生していた。


「原色の街」では「街の中程の曲り角に在る店が、最も多くの客を捉えることができる。三つ目の曲り角に位置している特殊飲食店ヴィナスが繁昌するのは、そのためもあった。」と書いているそうです。
また、木の実ナナが生まれ育ったのがこの東向島(当時は寺島町)です。
 

   (7) 明治・大正期は、200軒以上の料亭が軒を連ねる。向島花街見番通りを見ながら、隅田川に出る。

向島花街見番通りの料亭

   (8) お土産に長命寺の桜もちを買う人が多くいた。店に顔を入れると甘い香りがする。ここで一部の人は帰宅。

  (9) 墨堤で川口さん達持参の赤ワインを数本楽しむ。
キラキラ橘商店街で買った焼き鳥やパン(ゴマ味もあり)をつまみに、そばでサキソフォンを吹く音楽家、隅田川に浮かぶ花見の船を肴にしばらく談笑をする。寒くなかったので、助かりました。他には花見客がないというのもチョット早めの愛嬌。これが一次会でした。

堤の提灯と屋形舟の灯りで雰囲気は充分に楽しむことができました。


墨堤でチョット早めの花見

    帰宅後思い出しての感想も報告された。
テレサテンがタイで亡くなる3年前にパリで天安門事件追悼大会に参加した時に唄った歌なんですが「小城故事」という題名です。歌詞が何となく 向島お花見にピッタリに思えたのです。
「下町で語り明かそう 下町はいいことが沢山ある 楽しいこと 美しいこと・・・・」

  (10) 飲み物もなくなり、おなかも本格的にすいてきたので花街のはずれのふぐ屋に行く。
ふぐ屋で店の人との楽しいやり取りも良い記念になった。ゴマふぐのフライ、ふぐの卵巣(塩辛い)の味を楽しむ。
最後に鯛めし鍋の中の鯛の骨取りも習ったし、「鯛の鯛」という骨を見つけてこれを焼酎につけるとピンクになってきれいになるということも教わった。
程よく飲んで、新千円札の山の写真は、上下で違っているとかも教わる。
押上の駅で二次会は解散。


鯛の鯛

  (11) 三次会は、ファミリーレストラン。
次回以降をもう取りまとめる人がいた。その日のうちに帰れた人は良かったですね。お休みなさい。

 
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