第23回記録
番外編
別 府 温 泉

道頓堀であそ歩(ぼ)
    今回のまち歩きは大阪道頓堀と別府の2箇所についての番外編です。それではお楽しみください。
道頓堀であそ歩(ぼ)
新大阪から近くて交通の便の良い道頓堀界隈。歩くことと大阪のお好み焼きの両方を楽しみましょう。道頓堀界隈は大阪一番の繁華街ですので、お好み焼き、たこ焼き、豚まん他の名物があり、今回のエリアは東西500m、南北400mの範囲で、ゆっくりとまち歩きを楽しめます。
参加者:12名 大阪地下鉄なんば駅集合 14:30スタート 2月19日金曜 大阪は晴れ
大阪まち歩きの仲間は、地下鉄なんば駅の改札で最後の1名と合流して、12名のグループとなった。(右はまち歩き途中で写した記念写真)

地下のロッカーに荷物を預けて、身軽になって道頓堀のまち歩き、「あそ歩(ぼ)」を楽しむ。

地下から御堂筋通りの前に出た。信号を渡り、右に折れて、少し進んで左側の千日前商店街に入り込む。
たこ焼きのお店がすぐ目に入ったが、買い食いはもう少したってからと、我慢。
まず法善寺(水かけ不動)へのお参りをする。
緑の苔で覆われている地蔵さんに順々に並んで水を掛け、願も掛ける。不動さんの建物のそばには、「夫婦善哉」の看板を出しているお店もあった。
そばの路地、法善寺横町に入り込む。この横丁の入り口にある「法善寺横町」の看板には寛美の名前が一緒に書かれている。藤山寛美が書いたものだろうか。 小路通りには、包丁一本晒にまいて・・・で始まる「月の法善寺横町」の碑もある。
動くカニ、ふぐ、グリコ、くいだおれや串かつ屋の親父のような大きな看板で、道頓堀の道の両側がにぎわっている。その雰囲気を楽しみながらゆっくりと見学。

戎橋を渡る。
心斎橋筋の前を右に曲がって道頓堀川沿いに宗右衛門町を歩いていく。
相合橋のところで道頓堀川のリバーウォークに入って、日本橋(にっぽんばし)まで道頓堀川に沿って、わいわいと周りを見ながら歩いていく。
安井道頓と安井道卜(どうぼく)がこの道頓堀の濠を、私財を投じて開鑿したという紀功碑を皆で見るが、漢字だらけで理解困難・面倒でした。


道頓堀:
太閤・豊臣秀吉の命令で安井道頓(成安道頓)、安井道卜らが開削した道頓堀(1615年完成)は、寛永3年(1626)、芝居および遊所の設置が許可されて以降、大坂を代表する繁華街として発展した。中座、角座、竹本座、浪花座、弁天座、朝日座といった櫓(芝居小屋)では、坂田藤十郎の和事の歌舞伎や、近松門左衛門の心中物の人形浄瑠璃、世にも珍妙なからくり芝居などが演じられ、芝居の見物客が利用した芝居茶屋や飲食店からは「くいだおれ」の食文化も生まれた。
国立文楽劇場がそばにあるというのでそちらの方向に向かう。途中建物の色がハデハデのホテルピンク街を通ることになってしまった。誰かが注意をする。「男女は離れて歩くように・・・・。」 すでに10人は、劇場の無料の文楽展示場を見学中。
サーと見学したあと、劇場の中で、購入してきたたこ焼き2種の味を各自楽しむ。まだ暖かく、「タコの実も大きいな」とか言いながら最初の買い食い終了。
夕食のため予約を入れた、お好み焼「美津の」から「席が取れた」との連絡があった。まだ4時過ぎだが、別府行きの船の時間もあるので「美津の」に向かう。
後で地図を見ると弁天座、豊竹座、朝日座、角座の跡があったようだが、食べ物に一心不乱の一行の目には入らなかったようだ。
2階席の窓側に順々に詰め込んで座る。小麦粉を使用した通常のお好み焼きとこのお店の売りの山芋利用のフワフワ感とサクサク感の豚バラ、貝柱と焼きそばを3人前頼む。9人分を12人で分け合うという年齢にあった注文。当然まずビール。手際よく盛り付けて焼き上げてくれるのを、ビールをお代わりしながら待っている。

5時になり、別府に向かう体制に入る。
隣の「たこ昌」のたこ焼きを2度目の買い食いをする。熱い、熱ーい、熱ーい。不用心に食べると口の中がやけどする。舌が熱い熱いといいながら、本物の大阪名物たこ焼きを楽しんだ。

別府に向かって出発。



別府温泉
世界有数の温泉リゾートが戦後何故衰退したか、その足跡を辿る
参加者:15名 大阪南港コスモフェリーターミナル 18時45分迄に集合(19:05出港)

別府八湯:世界最大の温泉保養地・別府は、別府八湯と呼ばれています。浜脇、別府、亀川、鉄輪、観海寺、堀田、柴関、明礬の8つの代表的温泉地の総称です。
これらはもともと独立した温泉場として栄え、古いものは8世紀初めに遡る歴史を持つ温泉もあります。今日それらは別府市として統合されましたが、泉質(別府には11泉質のうち9泉質があるとか)と利用法、施設やまちの特質、山の上から海岸までの立地などの違いから、それぞれ今も個性豊かな温泉地としての様相を保っています。
庶民の温泉観光地として発展し、今や衰退しつつある別府には、かつて大陸や大阪の富裕層が創り上げた上質のリゾート地の面影をわずかながら見ることが出来ます。
その時代に比し今日の衰退は、旅館による客の囲い込みが結局まちの機能分担(泊まる、外湯、食事や買い物)を壊したためと言われています。1泊宴会型団体旅行が家族旅行者を遠ざけた点もあったかと思います。その別府もまた代変わり始めたのかも知れません。
今回は温泉につかりながら、これからの日本のリゾートを考える旅でもあります。

2月19日金曜 大阪は晴れ
18:10頃に大阪を楽しんだ12名は、トレードセンター前に着く。夕焼けがきれい。よい天気に感謝する。
船の切符購入も終わり、待合室で男子フィギュアーの結果を見、船での飲み物などの購入も分担して、準備万端。
しかし、まだ残りの3名が着かない。30分前になっても来ない。携帯で連絡を取るとそばに来ているがフェリーターミナルが分からず、30分近く周辺をタクシーに乗ったまま探し回っているという。あれほど電車で来るように言ったのに!
やっと姿が現れる。船までの道、大阪のタクシーはけしからん等と大きな声で話しながら、ほとんど反省もなく、楽しい思い出の話題になっていくのはどうして?
船名サンフラワー あいぼり 19:05発。フェリーの部屋はファーストワイドで一部屋 2段ベッドの4名用で、2畳弱のたたみ床と小さな机がありました。
出航まで南港の夜の景色を楽しむ。すでに回りは暗闇になり、アジア太平洋トレードセンター(ATC)や大阪ワールドトレードセンタービルディング(WTC)などの大規模な施設が集積し、それらのビルの明かりが輝いている。
船が静かに横に動き始めた。どうして船が横に動くのだろう。
部屋に戻り懇親会を開始。ビール、焼酎、ウイスキーなど飲み物は十分に用意されている。4人部屋に15人が入り込む。
話題は新幹線に中尾彬と池波志乃夫妻が乗っていて、池波志乃さんの後姿のきれいであったことや某氏がエリザベス・テーラーに会ったとき、体の厚さにびっくりしたこと等。当然、新大阪からの南港までの大阪タクシー事件についても。
20時頃に明石大橋の下を通り過ぎる。下から大橋の明かりを楽しむ。
外に出て月や星を探す。風が強く、寒さも厳しいのでわずかの見学で部屋に戻る。船には大きなお風呂がある。やはり別府と大阪間のフェリーだからだろうか。
リーダーが明日の夕食は男子が全員で支度をすると宣言する。他の男性も賛同・・・・。

12:30過ぎでやっと懇親会も終了し、それぞれの部屋に戻る。部屋でまた飲み続ける人もいて、2時頃まで頑張っていたようだ。
2月20日土曜晴れ
フェリーでないと味わえないこの景観・別府の全景!
別府の背後の山・鶴見岳の景観は独特です。
山腹は樹木のない緑の草原で雄大です。
その山裾に別府八湯が広がり、明け方の冷えた空気に湯煙が数条も登るのが見えます。

朝早くからの放送がうるさく起きてしまったという人が多い。お風呂にも早速入っているようだ。

6:30頃に外に出る。寒い。朝日の中の別府の湯煙を探す。別府の街の右手奥の方にかすかに白い煙が見える。しばらくの間、朝のすばらしい別府全体の景色を楽しむ。

別府国際観光港の前に大きな観光バスが待っている。バス正面の窓には「紫友85・まち歩きの会」御一行様のパネルが貼られている。

バスに乗り込む。すぐに朝食のパンが配られる。7:20頃にバスは走り始めた。

<堀田(ほりた)温泉>
7:45に別府八湯訪問の最初として堀田温泉に着く。
バスを降り、小道の山坂を登っていく。白糸の滝と呼ばれる滝があり、そこは温泉となっている。
近くの畑?から白い湯煙がもうもうと立ち昇っている。
4角錐の建物がある。この建物はどのような役をしているか?15分ほど湯煙を楽しむ。
<明礬温泉>
次は二番目として明礬温泉に向かう。
8:30に着く。わら小屋の温泉(家族湯)は「薬用 湯の花」を製造する“湯の花小屋”を模した家族湯。風情ある空間の中で、家族や仲間とプライベートな時間が過ごせると書いてある。
右手の4つの小屋型の温泉は手前から4人用で女性が、その奥の2人用、5人用は男性が利用。小屋の中には岩風呂があり、1時間利用できる。

2人風呂に男性が2人で入って、何の話をしているのだろうか。どうも俳句の話をしたようだと後で聞く。入り口の扉も半開きのままになっているので、外を通っていく人たちが見える。ということは外の人たちからも見えるということだが、小屋の中は暗いのでよくは見えないと思う。1時間は入っていることはできないので30分くらいで出る。
そばには明礬をどう作るかの展示もしている。温泉玉子を記念に食べる。

9:30に明礬温泉を出発。鶴見岳の冬の草原がきれいに見える。
9:40に六角温泉と呼ばれたところに着く。
ここはパリのシャルル・ドゴール広場のように六角形の中心の広場から六つの方向に道路が伸び、そこに郊外型高級別荘地が昭和8年頃に作られたそうだ。
現在中央には新六角温泉ができている。組合員により運営されている。
10分ほど近所を散歩する。

次は10:10にバスを降り、山の手町の別荘地の古い家を見学に行くが、なんとスーパーに変わっていた。
右写真の左手がスーパー。右手の家も大きい。奥に見えるのがコンベンションや国際会議場のビーコンプラザのタワーで、高さ125mのシンボルタワーである。別府をバスであちこち回っているが、どこからでも見える本当に別府の目印である。
途中八百屋でみかんを購入。そばの別府公園の入り口にある油屋熊八の記念碑を見て、いろいろなことが分かった。アイデアマンの熊八さんが別府の温泉をPRするために、温泉マーク=別府温泉の宣伝をしたそうだ。
別府の町のあちこちから湯煙が昇っている光景を見ると温泉マークの3本の印がよく分かる。温泉マークの起源はドイツとか群馬のだれそれとか、この熊八さん発案とかの各種の説があるようだ。別府湯煙からの発案に一票投じたい。バスガイドを最初に始めたのもこの熊八さん。さらに別府を宣伝するため、「山は富士 海は瀬戸内 湯は別府」という名言を作り、富士山に大標柱を立てたそうだ。
買ったみかんを食べながらバスを待つ。10:30に出発。
途中、中央公民館が紹介される。この建物は吉田鉄郎氏が設計したもの。彼は、京都、東京、大阪等多くの中央郵便局も設計している。

運転手がそれではと止めてくれたので、皆で建物の中を見学。建物の中は昔の面影がたっぷりと残った作りでした。
各部屋や講堂は今も利用されている。中に平成21年度男女共同参画標語・川柳の一般・川柳入選作が貼ってあった。「晩酌も 男女参画 夫婦酒」。

中央公民館の隣には、井上馨が療養生活をここ別府の旅館「若松屋」で送り、その後再度別府に来たときに「千辛万苦之場」の書を贈ったと言う史跡の建物がある。

<別府温泉と浜脇温泉>
三番目の温泉は別府温泉と四番目の浜脇温泉。11:00に古い建物の竹瓦温泉に集合。
まず少し先の平野資料館に入る。
ここには別府の古い写真や記念のものがいろいろと飾られている。海辺の砂湯を楽しむ4人の女性や別府大仏(天満町にあった像高24mの鉄筋コンクリート製)や竹瓦温泉の古い路地などの写真を説明してくれた。

さあ本日3度目のお風呂は砂湯だ。
しかし、受付で心臓の悪い人はだめという。不整脈はどうかと聞くと、それもだめといわれた。結果、5名が砂湯をあきらめ普通の温泉を楽しむことになった。砂湯は1人15分かかるようだ。砂湯組みは3組くらいに分けられ、順番に経験をすることになった。
砂湯に入れない5人は普通のお湯に入ったが、42度が最適温度と書いてあるのに、非常に熱い。入ると肌がちくちくと刺されるようで、赤く変色してくる。なかなかサーと入れる温度でなく、5分も入っていられなかった。
最初の組の砂湯の人が戻ってきて、経験談を話す。
浴衣に着替え、女性が砂を掛けてくれるが非常に圧迫される重さであり、身動きもできない状態になる。しかし少したつと暖かさのためか睡魔に襲われ、ゆったりとした時間の睡眠を楽しむことができたとの感想でした。
記念写真を頼む。女性三人ともかわいいので皆、特に男性はにっこりと写真に納まる。
<観海寺温泉は通過>
13:05に竹瓦温泉を出て、途中五番目の観海寺温泉(大きな温泉ではなかった)を通過し、お昼を食べに杉乃井ホテルへ。
ホテルは別府の町を一望できる高台にあった。
廊下をいくつかめぐり、エレベータにも乗ってたどり着く離れたところで食事。なんとも大きな座敷であった。
ここに15人で昼食を楽しむ。本日の目玉は、とらふぐの刺身と松花堂弁当。薄い紙の被いをめくりとると、ふぐさし(とらふぐの刺身)がきれいに飾り付けられている。
おいしいおいしいといって食べ始める。
松花堂弁当にもふぐの天ぷらが入っている。当然ビールを飲んだが、ふぐがあれば、ふぐひれ酒が欲しくなる。ふぐひれは一杯ではもったいないので、当然継ぎ酒が必要になる。おかずも肴にお酒と会話が進む。
15:20にホテルを出発し、竹瓦温泉に戻る。
15:30に路地裏ガイドによる竹瓦温泉の路地歩きが始まる。このまち歩きは一般の人を対象としているので他の人たちと一緒。
先ほどの平野資料館の平野さんがボランティア案内人で、もう一人地元のおばさんも同行しての開始。
竹瓦温泉の由来は、昔は竹で瓦を葺いていたから? そばの地蔵さんと温泉は、一セットとなっていて、お湯に入る前にお願いをして、事後に感謝をする。昔は杖が不要になり、杖が山のようになったそうだ。
この建物の2階は、今は公民館として利用されている。
そばの竹瓦小路の木製のアーケードを見学。
Hit Parade Clubという懐かしい名前の劇場前を通り、
足湯を過ぎ、
名残橋のあったところ、熱い温泉の寿湯、ハトヤという靴屋では親父さんの方言について講釈を聞く。
よだきい=>じゃまくさい、めんどしい=>はずかしい等など。親父さん頑張れ。
昔はここまで海だったという中浜地蔵尊でひとつだけの願いをし、一願石をなでる。
友永パン屋に入ると順番待ちの札を配られる。平野ガイドが出来立てのアンパンを一人一個配ってくれる。ほかほかでやわらかく薄味のアンパンだった。
組合員以外の入浴は固くお断りと書いた札をかざした共同温泉を見学し、使用済?の温泉を大切にしている釜のようなものを見学し、路地道を進んでいく。
後理髪館という古い建物が見えてきた。
ここは、今は有名になった地図のゼンリンの発祥の地だという。戦後間もない1948年に、この後理髪店の2階で住宅地図を作り始めたのがスタートだった。別府が観光化されていくにつれ、地図の必要性が高まり、何度かの試行錯誤の末、ついにはなんと一軒一軒表札を確認しながら(そのやり方は今もって変わらない)名前入りの地図を作ったところ、評判になってだんだん大きな会社になっていったそうだ。今は、北九州に本社を構えている。
そろそろ終盤になってきた。次は路地裏の詩情たっぷり「路地裏温泉めぐり」のひとつ紙谷温泉を過ぎ、
「寒朝を温泉に足浸す母上の七十に近い齢をおもう」と歌った丸山待子生誕の地の碑を見、
別府児童館(これも吉田鉄郎氏の設計)の建物を見、
昔は3階建てでどこからも逃げることができた置屋あとのアホロートル前を奥の上方を見ながら過ぎ、
楠温泉あとを見て、竹瓦温泉前に戻ってきた。
17:20になっていた。次は。本日の宿泊地に向かうことにする。
<鉄輪(かんなわ)温泉>
18:00前に湯治場として発展してきた鉄輪温泉に着く。
宿の陽光荘別館は、素泊まり温泉で、自炊ができ(しなければ食事ができない)、部屋数も多い、大きな旅館でした。8畳ほどの二部屋にはコタツがでんと置かれている。テレビもあるが100円玉を入れないと見ることができないもの。
夕食の準備開始となる。男組が夕食を作るということなので数名が近くのスーパーに行った。あのメンバーでは危ないと監視役が追いかけたが、遅かったようだ。かなりのものは返却できたが、多くの材料が持ち込まれた。ビール缶多量、ワイン5本、日本酒1升、焼酎、ウーロン茶、水、氷、ほうれん草、たけのこ、カブ、わけぎ、銀杏、肉、カレイ、刺身2種、さつま揚げ、イチゴ、金柑等々。昼のおにぎり。
しかし時間も遅いので、女性組が主体となって調理が進んでいく。
20:30頃にどうにか料理完成。女性組の皆さんに感謝、感謝。料理の最終味付けは女性組の面々の経験に基づくものであるが、それに加え某氏持参の魔法の最終味付けグッズがあったそうだ。某氏に感謝。

さらにけんちんの様な汁もできている。自分たちで作った、何らかの形で協力した料理をおいしく頂くことができました。
21:00頃に夕食終了。これからさらに飲む人や温泉を楽しむ人と別れるが、いつでも寝れる用意をしたほうがよいと布団を敷き始める。
当然男女の部屋の仕切りをチェックする。どうしても隙間が開いてしまう。仕方なく、隙間を端っこに集めるような工夫をして我慢してもらうことになる。
こうした作業が完了し、呑み助グループが飲み始める。
女組は12:30頃には静かになったが、男組は寝ていた人が再参加をしたりして2時頃までゆっくりと懇親をした。スターは20倍の努力で、名人は異常なまでの努力でという話は飲みすぎの頭にも残る。就寝。
2月21日日曜 晴れ
6時には皆起き始めている。朝風呂に入る人もいる。
8:30に朝食開始。早い者勝ちで昨日の汁を楽しむ。ゆで卵、パンなどが用意されている。
9時頃から朝の鉄輪温泉を見学に行くグループもあった。陽光荘の本館には、地獄炊事といって温泉の蒸気で調理をする場所が提供されている。ご飯は1時間、玉子は10分でゆで卵になる。昨日買った饅頭をここで暖めておくことになった。
鉄輪むし湯の前に、無料の足むし場がある。何名かがチャレンジ。気持ちよいが、熱いようだ。
1時間ほどの朝の散歩も終了。陽光荘の庭を探検すると露天風呂もあった。 知らなくてよかったか。

10:00に出発。今日は少し小さめのバス。後方はテーブルを挟んだ宴会席になっている。昨日飲み切れなかった日本酒をはじめビールが持ち込まれる。七つ目の芝石温泉に向かう。
<芝石温泉と亀川温泉(通過)>
途中湯煙の景色が見え、写真を急いで撮る。
10分ほどで到着。山の上の奥湯という感じの温泉地。10分ほど見学して次に移動。
途中八湯温泉最後の八番目の亀川温泉を通り過ぎる。ここも大きな温泉ではなかった。
<地獄めぐり>
10:20。次は地獄めぐりが開始される。
血の池地獄に入り、切符を購入。案内の人が時間を見て間欠泉の竜巻地獄を先に見に行けという。間欠泉が5mほどの高さまでの吹き上げていた。

高く立ち昇っていた湯煙と記念写真を撮る。
次は先ほどの血の池地獄に戻る。いまやどろどろの赤い血というよりも赤茶色のお茶の池だ。昔はもっと赤かったといっている。 次はバスで10分ほど次の地獄に向かって移動。
鬼石坊主地獄は泥を躍(おこ)しというように、灰色の泥を噴出している池がいくつかある。

某氏は、昔はこんなに見世物のようではなかった、何か違うとぶつぶつといっている。
海地獄は色鮮やかな青い池で、湯煙がもうもうと出ている。

風がうまく吹くと池がサーと現れ碧い色が鮮やかに見える。記念写真。
山地獄を通っていくと、
かばやフラミンゴなどがいる動物園のような場所がある。フラミンゴをそばでゆっくりと見る。一本足でしっかりとたち、首を後に巻き、背中に顔を埋め込んでいる。
眺めているとそろそろ出発するとの合図がある。地獄めぐりは、ここまでで11:50に終了。みんなニコニコ。
12:00から楽しみにしていた2回目の昼食。料亭「黒田や」。
目玉は、残念ながら関サバではなく、関アジでした。関アジを4皿頼み、それを15人に分けて食べた。
ビールははじめだけとし、やはりお酒がよいということで「西の関」と言うお酒をここでも飲む。
13:40に鉄輪温泉に再度向かう。途中、湯けむり展望台で別府の湯煙をじっくりと楽しむ。
目で楽しむだけでなく、俳句にして投稿をする人もいたが、投稿した歌を思い出せないようであるが、周りの人が某氏を詠んで、「酔いどれて(が?)地獄の淵を千鳥足」と歌う。14:00に出発。
14:15より鉄輪温泉の「かんなわお散歩」を開始。シルクロード探検の大谷光瑞氏は、晩年は別府にも関係していたようで、その碑が置かれている大谷公園からまち歩きは開始。
いでゆ坂を下っていく。上人湯を右手に見て、
湯あみ堂本尊をお参りし、渋の湯組合温泉の入り口を見、むし湯前を通って、
石畳を下って、一遍上人が熊野権現の霊力を持って開いたと伝えられる熱の湯温泉(14:30)を左に見、
ヤングセンターに向かう。ヤングセンターは、劇場、温泉やお土産屋の総合センターである。
ひょうたん温泉を右に見て、最後は海の駅べっぷ海鮮市場で買い物。関サバ6500から6800円、関アジ4000円とよい値段でした。
15:00にバス出発。
15:20から最後の目的地で今回の参加者が設計したという北浜温泉(テルマス)で温水プールと温泉を楽しむ。テルマスとはラテン語で「浴場」を意味する。屋外健康浴(温泉プール)は水着を着て入るが、少し寒い外気の中で気持ちよい湯の温度で、自然と泳ぎが出てくる。

確かに当初の想定外として建物が建ち、その通路のような屋根が別府湾の景色をゆっくりと眺める邪魔になってしまっている。何が起きたのか?右手のほうに別府湾、高崎山を眺望できる。
16:20に、大分空港に向けて出発する。 高速を飛ばして17:30に大分空港に到着。
17:50にチェックイン。セキュリティチェックで時間がかかっている。少し遅れて出発。機中で残りのウイスキーが回ってきた。疲れているのか、羽田空港に着く直前まで曝睡。
羽田で解散し、それぞれの家に向かって別れる。お疲れ様でした。

 
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