<まち歩きスタート> |
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12時に品川駅の江南口アトレ前に集合。17名が時間通りに集まる。 皆昼食に何を持参したかを報告しあう。何も持参しないで途中で買えば良いと思っている人もいる。
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<品川インターシティーを抜け、北品川方向へ> |
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休日の割には大地震のためだと思うが、人がまばら。未来都市のような空間を通り抜けていく。
が、状況報告などで外の雰囲気はほとんど意識の外。去年の 12月の忘年まち歩きから3ヶ月以上も経っているからでしょう。
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12:15頃に船清と言う屋形船の乗り場そばを通る。予約はキャンセルさせられたが、当日受付で仕事はしているようだ。
天王洲橋を通る。ここから屋形船の乗り場を写真に撮る。 一龍屋台村と言う屋形船の店か?天狗の鼻が立派。なぜかゴジラも並べられている。 |
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<運河の屋形船見学> |
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12:30頃。北品川橋の周辺には屋形船が休んでいる。釣り船も混じっている。船溜だ。
この辺からは品川駅周辺の高層ビルも見え、昔ながらの船との混在感が面白い。この辺は品川百景の一つ。 |
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<鯨塚・利田神社> |
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12:35頃。品川史跡の鯨塚。鯨碑とか鯨塚、鯨塔などと呼ばれる鯨の供養のお墓。
寛政十年(1798)5月1日、暴風雨で品川沖に迷い込んだ鯨が品川浦の漁師たちに捕らえられた。鯨の体長約16.5m、高さ約 2mの大鯨で江戸中の評判になる。十一代将軍家斉が浜御殿で上覧すると言う騒ぎになった。
この鯨の供養塚。いくつもの碑がある。
うちよする 浪は御浜の おにはぞと くじらは潮を ふくはうち海
大きな鯨が地面から飛び出してくる飾りのそばには子ども用の鯨型の遊具もある。
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そばには利田(かがた)神社がある。 ここの境内にはこの鯨の骨が埋められた。 ここの桜は見頃でした。 |
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これらも品川百景だ。この辺の品川の海は、江戸市中からの行楽の場でもあった。はぜ釣りも盛んだったようだ。潮干狩りもできたようで、海苔採り風景も名所風景に残されていると言う。残念ながら埋め立てで景色は大きく変わってしまった。
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<旧東海道品川宿~旧東海道をぶらぶら> |
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12:45頃。しばらく旧東海道品川宿の街道を散策する。
海の側は、急に低くなっていてすぐそこまで海だったのだと想像できる。 現在の商店街の家の店構えの大きさが、昔の旅籠の大きさとほぼ同じだと建築関係の友人が説明する。土地と言うのはなかなか移転が進まないので、昔の様子が残る結果となる。小さな旅籠がズーと並んでいたようだ。
浮世絵の雰囲気とイメージをあわせると面白い。 街道からあちこちと横道が出て行く。大横町(御殿山へ向かう)、清水横丁(清水があった)、虚空蔵横丁、台場横町、溜屋横丁等の横丁が多い。
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13:05頃。時宗音響山善福寺を見学。誰かが「いと・・うちょう・・しち」といっているような気がしたので、ついていく。普通のお寺や寺院とは少し変わっている。倉庫か廃屋かと思われる建物だ。だいぶ痛んでいるようで、龍の飾りがどうにか残っていて、姿を見つけ出すのが難しい。
下記ウエブ情報で、「いりえちょうはち(入江長八)」と言っていたのだとやっと了解できた。
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<解説> 永仁2年(1294)に開かれた都内でも有数の古寺。墓地の入口には 1658年造立の念仏供養塔がある。本堂に伊豆の長八(入江長八)の鏝絵(こてえ)がある。鏝絵とは土壁の上塗りの材料として使われる漆喰を鏝やヘラを使って盛り上げ花鳥風月や人物を半立体的に浮き上がらせる絵で長八は日本画の狩野派の技法を取り入れていた。寄木神社(東品川
1-35-8)にも長八 の鏝絵がある。 |
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小泉長屋跡のそばに昔懐かしい井戸ポンプがある。まだ利用されているようだ。 そばの赤いレンガ塀も懐かしい。 |
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13:20頃に、品川宿本陣跡、聖蹟公園を通る。 品川宿は、江戸四宿の一つで、東海道五十三次の第一番目の宿駅として発達した。ここはその本陣跡である。明治五年(1872)の宿駅制度廃止後は、警視庁病院などに利用された。明治元年(1868)に明治天皇の行幸の際の行在所(あんざいしょ)となったことに因み、聖蹟公園と命名されている。
途中白とピンクの花がまぜこぜの満開の桃?の花やオレンジのボケ?の花を見、これでお花見満足と言う人も出る。
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昼食の場所と決めている天王洲アイルのほうに移動する。 |
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<天王洲アイル周辺の公園でお昼> |
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13:30に昭和橋そばの「天王洲アイル周辺」と言う案内のある公園に着く。歩いてきているだけでなく、天気も良くなってきて、上着を脱ぐことができるようになって来た。暖かい。
チュリップなどの花がきれいに咲いている。 |
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ここで1時間ほど芝生の上で持参した食べ物で昼食をとる。芝生にシートなどを敷き、持参の食べ物を並べ、無料公開となる。ワインだけでなく、日本酒までしっかりと用意してきている。各家庭のおにぎり、サンドイッチ、フランスパン、アジすし、のり巻き、温野菜、チーズ、ハム、卵焼き、煮付け、イチゴ、オレンジ、・・・・食べきれない量だ。
暖かく、のんびりと過ごした 1時間であった。 公園にはごみを捨てるところがない。各自持ち帰る。記念の集合写真を撮る。 |
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<目黒川沿いに荏原神社> |
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これから目黒川沿いのまち歩きが再開される。「ようこそ目黒川へ!」の幕が橋にかけられている。
15:00頃。赤い橋を渡ると荏原神社があり、お参りをする。
あとは目黒川に沿ってぞろぞろと歩いていく。
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<東海禅寺> |
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北品川2丁目を山手通りのほうに曲がり、少し行くと立派な古めかしい墓石が壁越に見えてくる。
15:15に東海禅寺を見学。入り口近くに高く立派なマンションのようなものができている。これはお寺の一部を売って造ったのだろうとか勝手なことを言う。なかなか立派なお寺で細川家の墓だという人がいる。中庭もある。塀越しに写真に撮る。
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<解説> 東海寺とも呼び、寛永 15年(1638)に、沢庵和尚を開山として、三代将軍徳川家光が創建。徳川家光が、沢庵和尚を江戸にとどまらせるために作ったと伝えられます。東海禅寺の大山墓地には、沢庵和尚、賀茂真淵、渋川春梅の墓がありますが、実は、東海禅寺の境内にはなく、歩いて
200mぐらいのところにあります。昔は広い境内を持っていたんでしょう。 |
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東海道線、新幹線のガードをくぐって、山手通りを進んでいく。
15:40頃に大崎のビル群が見えてきた。この辺の桜は 4分咲きくらいか。目黒川に沿って歩く。 観光船が目黒川を進んでいく。このように本来なら川のほうから桜見学ができたのにとも思う。
なんという名前の花か、確か誰かが説明していたと思うが、忘れた。川に沿って小さな花を咲かせている。
15:50、Gate City Ohsakiのビル前で一休み。寒緋(かんぴ)桜のピンクの花が一杯。 |
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<目黒川沿いの桜見学> |
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これから大崎駅から目黒駅に JRで移動。一部の人はここで解散。なぜか一人別れる人のあとについていってしまい、一つ電車遅れて目黒駅に到着となる。
16:10に目黒駅を出発し、目黒川の目黒新橋に向かう。ここで合流する一人が橋のたもとで待っていると言う。
無事合流し、目黒川沿いに桜見学を始める。しかし、まだまだつぼみの状態。また、大地震のために今年はちょうちんの照明もなく、夜桜見物は厳しい状況だ。しばらく、川に沿って歩いていく。頑張って地に咲く桜もある。
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16:35頃、時間調整も含めて、休憩を取る。今回はよく歩いているので、皆さん疲れも溜まってきている。またおなかも空いてきているかもしれませんね。
17:00頃、中目黒近辺の合流場所で二人が参加する。この辺はにぎわっている。確かに桜も4分から5分咲きの状態で、お花見をする人やビール、ワイン、ソーセージ、イカなどを売っている小さな屋台のようなお店があちこちで店を開いている。専門の屋台でもなく、専門のお店でもなく、ボランタリーなのか、文化祭なのか、なんでもありの売り場を開いている。 |
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桜は目黒川に向かって枝を下げ、花を咲かせている。自分の美しさを目黒川の川面で確認しているのだろうか。
しばらくこの雰囲気を楽しんだ後、青葉台付近で右に曲がり、デンマーク王国大使館の前を通り、代官山を過ぎ、打ち上げの場所である駒沢通りにあるレストランに向かう。
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<打ち上げ> |
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17:45頃に地中海料理のアマポーラAmapolaに着く。ここで 1名が帰り、少し遅れ18:00頃に 1名が参加することになり、総計18名での打ち上げが始まった。
コースも頼んでいないので、適当な料理を頼みながら、ビールのピッチャを何回かお代わりし、ハウスワインの赤をどんどん追加し、とうとうお店のハウスワインをすべて飲み終わり、少し高めのものに手を出すことになった。全部で 10数本飲んだと思う。
途中、本日が誕生日の人に対する、バースデイケーキでのお祝いのイベントも入れ込まれる。 |
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次回以降のまち歩きの計画も練られる。 10時過ぎまでの打ち上げでした。 |
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